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<ノベル>
●
ピーピロロロロ……と哀愁漂う電子音が響く。
「ファックス受信してるよ!」
「ファックス持ち込んでないよ!」
「きっと着信音だよ!」
「ですよねー」
開場直前、本部スタッフはあわただしく動いていた。あの大手遅刻してるとか倫理的にヤバい新刊あったとか規制以上のノボリを強制撤去してきたとかスペースナンバー間違えて準備してた人がいた、とか。
とにかく忙しいので、不審な電子音はすぐに忘れ去られた。
音の発信源は、会場受付に置かれたアルミ缶だった。正確にはアルミ缶ではなく、コア・ファクテクスというムービースターだった。よく見ればレースと薔薇の花飾りで、リオネのコスプレをしている。
一般参加者なのだが、自動販売機の前でスタッフに拾われ、会場内のクーラーボックスに入れられ、缶ジュースと共に並んで現在に至る。
テレパスで『スターですよ』と訴えかけてみるものの、スタッフは誰一人として気づかない。
「開場五分前!」
その一言に、スタッフの動きは別種のものになった。
「鈴木さんスタートダッシュに備えて!」
「ヒオウは『小さいもの』の行列整理、緋桜は対フェロモンエリアの連絡要員について!」
各々が自分の戦場へ向かい、本部のウグイス嬢がマイクのスイッチを入れる。
そして――
『ただいまより、銀コミ2009冬、開催いたします』
入場開始を、どう表現すればいいだろうか。
熱と現金と水分を携えた客が、競歩の世界記録を樹立しそうな勢いで会場中に広がる。
走らないのはもはや常識だが、やはり熱意の前に理性が飛ぶ者が現れる。
「会場内を走るな!」
そういう輩には、鈴木菜穂子が目からビームで牽制をする。一見平凡なOLなので、インパクトは大きい。
「鈴木さん、当日受付が大変!」
「行列に割り込むな!」
「鈴木くん、ついでにこれを二百部増刷してくれたまえ。両面印刷で頼むよ。くれぐれも製本順を間違わないように」
「アタシはスタッフだけど雑用じゃねえんだよ勇者アッパー!」
伝説の勇者の活躍により、混乱は小さいが――全軍突撃のシーンを撮影しているような、そんな大迫力の入場だった。
当然、テレパスを受け取る人などいない。
助けを求めるのを諦め、コアは移動を始めた。
底面から小さな車輪を取り出し、それで進むのだが……速度はハムスター並だ。どうやってテーブルから降りようか、端で迷う。
その時、誰かがぶつかったのかテーブルが大きく揺れてコアが落ちた。
目当てのスペースへ向かう集団が、ちょうどそこへ通りがかり。
人津波が通り過ぎた後、コアの姿は消えていた。
●
「あ、今日はお隣? よろしくー」
「よろしくね!」
偶然スペースが隣り合ったウィズとジュテーム・ローズは、新刊を交換した。一種の挨拶だ。
「本日も、たんまり稼がせてもらいます」
ウィズはにやりと笑い、朝一の行列を軽やかにさばいていく。
一時間ほど過ぎた頃、ルークレイル・ブラックが通りがかった。青くなって白くなって赤くなって、ジュテームに詰め寄る。
「やっぱりいやがったああああ!」
夏に発行されたジュテームの本で、当て馬にされた傷は深い。一緒に来たブライム・デューンが尋ねる。
「どんな内容?」
「そ・れ・は……」
「聞くな答えるな興味を持つなッ!」
両手を頬に当て身をくねらせるジュテームに、早口で叫ぶルークレイル。
傍観していたウィズは、追撃とばかり『航海士さん総受け本』のネームをちらつかせた。
「ルーク、こーゆーリクきてんだけど描いていい?」
「がふっ」
ルークレイルは派手にのけぞって吐血する。
「メアリの餌代の足しになるな」
ブライムは呟いた。ゾウの食費が海賊団の財政を圧迫しているのは、周知の事実だ。
「他人事だと思いやがって」
「あんたのこと、だろう」
ルークレイルとブライムは火花を散らす。
そんな二人をハートマークの目で見つめるのは、二階堂美樹。
「美樹ちゃん、いらっしゃーい」
ウィズは心の友に気づいて手を振った。
「リクエストのネーム出来たよん」
「キャー、見せて見せて」
二人の会話に、ルークレイルはよろめいた。ブライムがとっさに肩を掴んで支える。それは見る物が見れば想像力の糧になるわけで。
「「メインカップリング爆★誕」」
ウィズと美樹が通じ合った。電波の中継アンテナは先ほどのネームだ。
「ルークの相手は別に……」
「そうよね、ちょっと違うわよね」
矛先をそらすブライムに、頷くジュテーム。
ルークレイルは連続攻撃に耐えきれず、貧血を起こして卒倒した。倒れる彼を、ブライムは成り行き上仕方なく支え続ける羽目になり。
「このネタをメインに持ってきてさー」
「いっそ、読み切りで一冊?」
ウィズと美樹がイイ笑顔で、総受け本のネームを修正している。
「ジュテーム、やる」
被害の拡大を怖れて、ブライムはルークレイルを売った。いや手厚く看病してくれそうな相手に預けた。
「駄目よ、わたしには心に決めた人が……って、何を言わせるの!」
照れる乙女の張り手を受け、ルークレイルは撃沈した。
●
参加サークル数の都合で、一つの島に複数のジャンルがひしめく時もある。
時代劇と特撮の解説本を取り扱う真船恭一は、ゲームジャンルに隣接していた。
右隣が扱うゲームは熱狂的なファンがいるらしく、三十分ごとに新たな客が現れては売り子と熱く語っていく。
徹夜明けのハイテンションに勝る客が多かったので、「全部一冊ずつ」と必要最低限の会話で済ませたリシャール・スーリエが、逆に目立っていた。
左隣は山口美智で、自作の詩集を売っている。
「懐かしいなぁ。俺っちの若い頃にも同人ってのがあってよう」
美智の知っている『同人』と、現在の『同人』は意味がだいぶ違う。
ゲームジャンルからひやかしにきた客との会話は壮絶だった。
「おっさんコスプレしない?」
「こすぷれ? 何だ、おっちゃんに何が出来るってんだ」
「渋系らない? アレの主人公とか、あっちのやつの師範代とか。なりたいキャラいない?」
「俺っちがなりたいのは俺自身だぜ」
残念ながら通訳が不在のため、会話はそれっきりで終わってしまった。
恭一のもとへは『銀河刑事ケストラー』の熱狂的ファンが現れた。
第何話のどこのシーンで……とか、DVD全巻揃えて繰り返し鑑賞した人でないとわからないような話で盛り上がる。濃い話により、余人には近寄りがたいほど濃い空間が形成された。
ファンはケストラーの解説本を三冊購入して(自分用・保存用・布教用)、立ち去り際に思い出したことを伝えた。
「女ラーゴのコスしてる人、見ました? 本物そっくりですよ。アレグラをストーカーしてる、役作りまで気合い入れてるレイヤーさんでした」
「え、それは、いや……」
たぶん本物。恭一は語尾を濁した。
●
「皆大好きゼット商店街! 遊びにきてね!」
「にゃーんにゃん」
猫耳の和風メイド&ウェイターに手招きされれば、立ち止まらずにはいられない。
そんな人達に、百瀬桔沙とハレル・パレル・マコニーロはポストカードサイズのビラを渡す。
桔沙はふっくらした毛並みの黒猫(耳)。衣装は大正風味の女給。
ハレルは青銀のシャム猫(耳)。作務衣にソムリエエプロンという不思議な取り合わせが、妙に似合っている。
「……っふ、これで花壇の改装はもらったわねぇ」
桔沙が黒い呟きをもらした。商店街の会長と取り引きをして、宣伝の代わりに勤める雑貨店の前を整備してもらうことになっている。
二人でにゃんにゃんとビラ配りをしていると、カミウの携帯が鳴った。
「はいはい。こちらハレル兄さん」
『うちや、カミウや。兄はん、珍しいところで会うな。五時の方角振り返ってみ?』
言われたとおりにすると、風見守カミウがいた。スペースの内側に座っている。
手を振り返して電話を切る。ビラも尽きたので、桔沙と一緒に向かった。
カミウがいたのは時代劇ジャンル。彼女は水色の羽織に額当てと刀という、幕末向けな衣装で売り子をしている。
渋系男優を表紙にした同人誌が並ぶ中、一冊だけ異色な本があった。
タイトルは『疑惑の花びら』。某デスサイズの鎌を操る薬剤師が、肩をはだけて手招きをしている。
「ハレパレちゃん、あれ、ティモむが」
ハレルは苦笑を浮かべて桔沙の口を封じた。
「買うか?」
「いえ」
確信犯のカミウに、大騒動になりそうだとハレルは苦笑した。
後日、ゼット商店街で死闘が巻き起こったとか起こらないとか。
●
メモとお金を握りしめ、ガスマスク(小)は会場をひた走る。
「アレグラ……可愛いのう」
柱の陰から見守る変態、もとい大教授ラーゴ。サングラスとマフラーで変装していたが、「110?」「対策課?」などという会話を聞いて、仕方なく素顔をさらしている。
アレグラは目当てのスペースに到着し、真剣にお買い物をする。
「『はしれ たまごちゃん』くださいなのだ!」
新刊を求める可愛い客に、売り子がキュンとなって話しかける。
アレグラは無事に絵本を購入し、おまけでポストカードと似顔絵を描いてもらった。
「おのれ……!」
アレグラのラブリーな姿に、ラーゴは嫉妬二割の萌え八割だった。柱の陰の不審者はちょっと目立つ。
「女ラーゴだ!」
誰かが叫んだ。
見た目はボイン、中身はおじいちゃん、大きなお友達のマドンナ、その名は大教授ラーゴ。熱烈なファンは彼女……彼のことを決して忘れない。
「大声を出せばアレグラに知れるではないか!」
ラーゴはファンを叱った。しかし逆効果だった。
「踏んでください!」
「改造してください!」
「罵ってください!」
熱心な奴隷志願者……もといファンが、角砂糖を見つけたアリのように群がる。
そんな騒ぎになれば、近くにいたアレグラにも気づかれるわけで。
「ラーゴ、良い子にしろ!」
逆にお説教された。
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信崎誓は生贄ABC、もといミケランジェロ、クレイ・ブランハム、麗火の三人と一緒に歩いていた。
「何でまた来るんだよ」
超低気圧の塊であるミケランジェロが呟く。同人誌即売会はよくわからないが、自分がどんな扱いを受けているかはよくわかっている。
「楽しいから」
誓は微笑む。彼は前回の反省をふまえ、もっと掛け算のしがいがある人達を連行もとい同行したのだ。
効果はばつぐんで、誓に気づいた腐な乙女はまずミケランジェロに注意を移す。
「「「「みけしょー!」」」」「しょみけ!」
即死級の大合唱に、ミケランジェロは体をくの字に折った。
クレイは戦慄した。腐った乙女に囲まれた友人(多分)の姿を、自分に置き換えただけで心臓が止まる。
間の悪いことは重なるもので、鳳翔優姫と腕を組んだニーチェがその場を通りがかった。
ニーチェはフェロモン全開でスキンシップが過剰、つまりクレイの苦手要素を詰め合わせた女性だ。
「ニッチェニチェにしてあげるわ〜んv」
肉食獣のように目を輝かせたウサギさんは、優姫の腕を離して投げキッスをする。
「ギャアアアアアアアアア!」
「逃がさないわ〜ん」
クレイは帆布を引き裂くような悲鳴を上げて逃走した。ニーチェはウサギの俊敏さで追いかける。ぽかんと見送った優姫は、麗火の半径三メートル圏内に立っていることに気づいた。
優麗もまた、銀幕カップリング(アンオフィシャル)としては王道である。
「フラグと首折って、いなくなって」
「するわけないだろ」
「折ってあげよう……嫌だな。何かしてやるなんて」
お互い、手を出すわけにはいかない。今度会場で騒いだら豪華ゲストで優麗アンソロ作って四桁刷っちゃうぞ、と注意されている。
絶対零度の緊迫した雰囲気を、周囲はぎこちないカップルの空気と解釈して萌えた。
一方、メジャーカップリング多発により、ミケランジェロは奇跡的に逃げることができた。
「はー……ったく」
しかし、逃げた先に新型兵器があった。卓上ポップに目を疑うフレーズが書いてある。
――那智パリ始めました。
「ツッコミどころがわからねえ!」
魔窟だ。魔窟すぎる。
そして叫んだおかげで、新たなる敵が近寄ってくる。
誓は優秀な弾避け達に微笑みながら、危なげなく自分の買い物を済ませた。
その日ミケランジェロは、『掛け算に使われる男ナンバー1』(銀コミ事務局調べ)の称号を獲得した。
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早朝から参加していた七海遥は、緋桜とヒオウが揃っているのを見て駆け寄った。
「また銀コミに参加できるのも緋桜とヒオウのお陰だね♪」
「「こちらこそ!」」
緋桜達はサラサウンドで抱きつく。
「参加してくれる人がいるから、続けられるのよ」
「人の来ないイベントなんて楽しくないわ」
ぎゅうぎゅうやっていた二人は、遥が咳き込んだので離れる。
「収穫はあった?」
「うん。サインもいっぱい貰っちゃった」
遥が取り出したのは映画関連の同人誌。原作に出演するスターのサインが、表紙裏に書かれている。複数のスターの寄せ書きあり、俳優とスターのダブルサインあり。
『ワールド・レアムスグド・シリーズ』のルウ中心オールキャラ本など、居合わせたスターや俳優、スタッフ全員が書いていったのではないかと思われるほで、余白がなかった。
「うわあ……」
「すごく、贅沢……」
「スターさんにね、本を売ってるスペースを教えて欲しいって聞かれたんだよ」
遥は誇らしげに笑う。
健全かつギャグやほのぼのだから、というのもあるが。同人誌そのものの良さを認めてくれなければ、サインなんかしてくれない。
まして一言メッセージを添えたり、売っている場所を尋ねたり。
緋桜達は瞳をうるませて、ふたたび抱きついた。
「遥のような参加者がいるなら、百回でも二百回でも主催するわ!」
「煩悩は永遠に不滅です!」
そんな暑苦しい横を通るのは、葛城詩人とマリアベル・エアーキア。手をつないでらぶらぶデート中だ。
知り合いが作ったCDアルバムについて感想を話している。小さいもの部隊の隊長ぬいぐるみ(等身大)を抱えて嬉しそうにしていたマリアベルは、心残りを呟いた。
「十五センチ兵隊ぬいぐるみ、もう一つ買っておけばよかったかも」
「戻ってまた並ぼうぜ」
「そうしたい……けれど、結構待ちそうな行列だったから」
「一緒なら退屈しないじゃん。Are you ready?」
「ええ」
遥は『二人の世界』を形成する詩人とマリアベルを見送った。サインをねだれる雰囲気ではない。
●
片山瑠意は安全な場所まで逃げおおせて、ため息をついた。
強引に引きずってきた後輩に、『天竜地獄変』の迦楼羅王のコスプレをせがまれたのだが。
「自分で自分のコスプレは、ちょっとな……」
こだわらない人は全然こだわらない、気になる人はとっても気にする、微妙なチョイス。
ぶらぶら歩いていると、壁際の安定した行列を誇るスペースが目にとまった。
優雅な物腰でブラックウッドが売り子をしている。
「ブラックウッドさ……んんっ!?」
瑠意はおののきながらスペースに立ち寄った。
現場は壁際、すなわち人気のあるスペースが連なっている。そこに十と瑠の二文字がセットで並んでいた。
「おや、よく来たね」
微笑むブラックウッドの背後には、B5(大)の段ボール箱が三つ。側面には『十瑠・天地無用・壊れ物注意』とマジックで書いてある。
「何それっ……!」
「公認記念にご祝儀島買い――と言っていたねえ」
繁華街で恋人にお姫様抱っこされていたとかいないとか、そんな目撃情報が銀コミで有効活用されていた。
瑠意は目元を火照らせ、口元を手で覆った。
周囲のお嬢さん達は一緒に鼻を押さえた。どんぶり飯三杯はイケる表情を前にしても、鼻血をこらえるのは淑女のたしなみだ。
ブラックウッドは慈愛の笑みで見守った。
本日、彼は合同サークルの店番を任されている。銀幕大手がタッグを組んだだけあり、客は尽きない。むしろ徐々に列が伸びていく。
ちなみに本人達は、一回箱を置きに来ただけで、全然戻ってこない。
瑠意は心配になって尋ねる。
「品切れの前に時間切れになりませんか?」
「その心配はもっともだね。お嬢さん達の限られた時間を、浪費させてしまうのは大罪だ。フレイド君、起きたまえ」
ブラックウッドは隣に座っていた男の頬をひたひたと叩いた。
パイプ椅子に拘束されて気絶していたフレイド・ギーナは、ブラックウッドを見て、己を拘束する荷造り用ビニール紐を見て、沸き立つ会場を見た。
「あんたら誰だ。どうして俺の名前を知っている」
フレイドは部分的な記憶喪失を引き起こしているようだ。ブラックウッドは憂いを込めて頬を撫でる。
「忘れないように、体に教えてあげようかね。今は、売り子らしく働いてくれたまえ」
「売り子だとふざける誰か助けてええええ!」
フレイドは強気に吠えていたが、売り物を見るなり悲鳴を上げた。記憶がフラッシュバックしたようだ。
目玉の新刊は、ムネモシュネの赤い本に対抗して青い本――『Blue Blood Books』。装丁だけでなく、殺人鬼も真っ青(ある意味)な内容だ。
瑠意は列がさらに伸びているのに気づき、ブラックウッドに会釈した。
「お忙しいようなので、失礼します」
「ところで、瑠意君。彼との関係は根も葉もない噂なのかい?」
ブラックウッドは『十瑠』の等身大ポスターを指さす。
「い、いえ……それ、はっ……!」
否定はできないので、瑠意は右往左往する。
「では、恥ずかしがる必要はないだろう」
「そ、それは、でも恥ずかし……っ!」
あたふたと赤面する瑠意のおかげで、周囲で卒倒者が続出した。対フェロモンエリアスタッフが、想定外の事態に驚いて駆けつける。
「俺はこれで!」
真っ赤な顔で走り去る瑠意は、まるで生体兵器のようだった。目撃者が次々と、絶叫あるいは無言で倒れる。
その間中、ナイフでビニール紐を切っていたフレイドが立ち上がった。
「はははは! 何度も同じ手をくらってたまるか! いつまでも言いなりになると思うなよ!」
高笑いにあわせて、背中に貼られた『おやつ』の紙が揺れる。
ブラックウッドは微笑み、フレイドの腕を引いた。一瞬で、膝の上で横抱きポーズになる。
「少し、空腹を覚えていたのだよ」
フレイドは白目を剥いた。吸血鬼の顔が洒落にならないぐらい近づき、そして。
「ギャアアアァァァァ……」
色気のない悲鳴がフェードアウトする。倒れるギャラリー。
「防衛薄いよ! 何やってんの!」
フレイドは薄れゆく意識の中、駆けつけるスタッフの足音を聞いた気がした。
●
「変わってるんだね。なんていうキャラ?」
「これは、きみょ可愛いというもので……」
はしゃぐ墺琵綾姫に、流鏑馬明日は目元を和らげて説明する。机の上には、なんともいえない愛嬌のあるキャラクターグッズが並んでいる。
綾姫の強引な誘いで引きずり出された墺琵琥礼は、少しほっとしていた。
少し離れた場所では毎度おなじみの喜劇悲劇惨劇が繰り広げられているが、明日のスペースと近隣は、まったりほっこりした空気に包まれている。
「琥礼、どっちがいいと思う?」
輝く笑顔で、綾姫が二枚のポストカードを指さす。強いて言えば猫に似ているキャラクターと、強いて言えば馬に似ているキャラクター。
「ど……」
どっちでもいいんじゃないか、と言いかけて、琥礼は言葉を選ぶ。
「両方可愛いんじゃないか?」
「じゃあ、両方買うよ!」
綾姫はポストカード二枚を手に、きみょ可愛いについて語る明日の話を聞いている。
変な影響はなさそうだと琥礼が油断した、その時。
「来ていたのか」
シャノン・ヴォルムスが琥礼に声をかけ、挨拶代わりのハグをした。
琥礼は硬直した。シャノンが腕を解くと、がっくりと膝をついて全然役に立たなかった心の準備を呟く。
「もしも会ったら距離を置こうと思っていたんだ……」
「何しおれてんだ琥礼。こんにちは」
「やあ」
綾姫はあきれ顔になり、シャノンに挨拶をする。シャノンもさらりとハグをする。
慣れない綾姫は慌てたが、琥礼が引きはがすように妹を奪い取った。
「……楽しんでるか?」
警戒混じりの琥礼の問いかけに、シャノンは頷く。
「シャノン×ハンス、シャノン×エリク、シャノン×アル――という本を見かけて驚いたな。世の中はいろいろな人種がいると再確認して、全て購入した」
「買った、のか……!」
「ああ。早朝から参加した甲斐があった。しかし不思議だな。俺は必ず掛け算の左側に表記されている」
「シャノン氏は総攻めというのが定説だからね」
通りすがりのメルヴィン・ザ・グラファイトが、丁寧な解説を加える。
「シャノン氏が受けに回る本は大変珍しい。今日はリバ有として一冊売っていたけれどね」
「まだ見ていないな」
メルヴィンの淡々とした説明に、シャノンは耳を傾けている。
琥礼はどん引きだった。綾姫は不思議な単語に興味を持つ。
「総攻め? リバ?」
「未成年は興味を持つな」
新たなステージへの招待状を受け取った妹を、琥礼は行かせまいと阻止する。
シャノンはメルヴィンからスペースナンバーを聞き、明日のきみょかわブックマークを購入して立ち去った。
「成人なら興味を持っていいのかしら……?」
会話についていけず、傍聴していた明日が呟いた。『萌え』や『コスプレ』といった基礎知識が理解できない彼女は、隣のスペースとも会話が成り立たなかったのだ。
メルヴィンは明日に微笑む。
「君も、D明日や美女と野獣といったカップリングで、かなりの人気を博しているのだよ」
「何を言っているのかわからないわ。解説してもらえるかしら」
「喜んで」
真剣な明日の申し出をメルヴィンが受け、大人向けの講座が始まった。
一歩間違えば猥談だが、教授も生徒も淡々と真面目なので、なんだか高尚な雰囲気を醸し出している。
琥礼は講義風景と内容の落差にあっけにとられていたが、真剣に聴講する綾姫を見て、自分の役割を思い出す。
「行くぞ、綾姫!」
「えー、私も気になる」
駄々をこねる綾姫を引きずって、琥礼はその場を離れた。
●
太助が売り子をつとめる小さいものFANは、毎度のことながら長蛇の列でにぎわっていた。
「ぽよんす!」
同人戦略SLG『銀幕大戦』のコスプレで、軍帽と腕章を装着している。ファーの質にこだわった等身大ぬいぐるみは十分で売り切れ、問い合わせが殺到したため増産予定だ。
数々のグッズに混じって、今回もR指定の花園本がある。
内容を秘密にされると、かえって知りたくなる。
「なぁ、これの中身を教えてくれよぅ」
太助+隊長コス(軍帽に腕章)+服の裾を掴むおてて+上目遣い。
このアプローチにより、失神者が大量発生する。
終了後の統計によると医療班の出動回数は『小さいものFAN』周辺が一番だった。個人撃墜数はと言えば、次点のブラックウッドに倍以上の差をつけてトップだ。
「教えてくれよぅ」
そんなわけで太助はすごかったが、迫った相手はことごとく失神するため目的が果たせない。
太助は売り子仲間の使い魔に尋ねる。
「つっちー、『開かずの間』ってとこで作られてるんだろ? 何か知ってるか?」
「ぷぎゅーむ」(こどもはみちゃらめえええ! と言われたです)
二人にはわからない。わかったら終わりだ。
悩む姿も悶絶級の二人のところへ、綾賀城洸がやってきた。バッキーの蒼穹は綿入れ半纏を着て、マフラーと帽子のぬくぬく装備だ。
「お疲れ様です。賑わってますね」
差し入れの『楽園』製マカロンに、使い魔は目をキラキラさせて箱に飛び込む。
太助は洸に泣きついた。
「あやっちー。『花園本』の中身、みんな教えてくれないんだ。俺、知りたいんだよぅ」
「太助さん……」
軍帽の上から頭を撫でて、洸は考えた。
太助の死角にいるお嬢さん達が、殺気を放ちながら腕でバツ印を作っている。
「そうだ、こうしましょう。僕が買って――」
「花園本完売シマシターアリガトゴザマスー」
完璧なタイミングで、サークルメンバー兼付き添いの売り子が宣言する。
「ええー」
「ぷゅむ」
「つっちー! 食べちゃったのかよ!」
太助は花園本のことを忘れて涙目になる。
箱から出てきた使い魔は、頭部がデコボコと巨大化している。
「つっちーのばかばか、ばかー」
目をうるませて床をぽこぽこと叩く太助に、失神者がまた増える。
「イベントが終わったら、お店に食べに行きませんか?」
洸は太助の頭を撫で、ね? と笑った。
●
閉場時間が迫り、休憩スペースでたむろしていた鈴原抹は腰を上げる。
早朝から並んで突入し、分身を放って、大人買いの用意は万全……だったのだが。
「財布の中身は有限っすねー」
知り合いを捜して借金を申し込もうか迷い、というか二人ほどやって断られ、しょんぼり休憩していた。
落ち込む姿を見かねた喧嘩仲間から『疑惑の花びら』という危ない本をもらって、さらにしょぼんとなっている。
「でも、限界まで買ったじゃん、うん」
分身による早業で、レア本はほぼゲットしている。
前向きに考えて、抹は帰路についた。
受付前で、非常に機嫌の悪そうな男とすれ違う。
「……迷子」
男――リシャールはアルミ缶を机に置いた。いや、それはコアだった。
アルミ缶と間違われ続けて、踏んだり蹴ったりされたあげくゴミ箱にスローイン、と廃棄処分の一歩手前まで行ってしまったのだが。
偶然、ゴミ箱の角に当たって跳ね返り、リシャールに向かった。
リシャールは反射的にコアを掴んだ。傭兵のとっさの握力はすさまじいもので、コアは握りつぶされる予感にテレパスで悲鳴を上げ。
かくして、生還となった。
「迷子……。コア、って」
ピーピロロロ! と電子音を最大音量で発して同意を示す。
ウグイス嬢が会場にアナウンスを流すと、ほどなく知り合いが現れた。コアのへこんだり傷がついたボディを心配しながら、礼を言って一緒に帰る。
ウグイス嬢はマイクのスイッチを入れ、興奮が満ち満ちている会場に冷静さを呼ぶ。
「時間になりました。銀コミ2009冬、終了となります」
会場は拍手に包まれて、幕が下りる。
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クリエイターコメント | このたびはご参加ありがとうございました。 ご一緒のPCさんが多く、またお一人でも絡ませたい要素のPCさんばかりで、場面の取捨選択に嬉しい悲鳴でした。 パティシナにつき深い描写や説明は省きましたが、そういう部分を想像していただけたら、WR冥利に尽きます。
皆様の思い出作りの一助となれば幸いです。 |
公開日時 | 2009-02-02(月) 00:30 |
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